幼年期の言葉の獲得と表現について

 ヨハネ伝福音書の第一章は、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。」で始まる。仏説大無量寿経は、阿弥陀如来が名号になり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と名を称えさせることにより一切衆生を救いとるという、浄土教思想の根本経典である。何のはじめに言葉があるのか。名を称える行為によりなぜ人は救われるのか。いずれも言葉の海に住んでいる生きとし生けるもの全てに、言葉で神や如来の存在を示されたもので、全ては言葉の海で存在している。このことを私たち現代人は、言葉と共に生きていることがあまりにも当たり前すぎて認知せずに過ごしている。宗教と哲学と芸術と、言葉とは何か、大いに興味深いものである。関連性があるに違いないと推察してはいたが、昨年の全国幼年美術で、人間の進化と言葉の獲得についての関係において確信に変わる講演を拝聴でき、感謝の気持ちで満たされました。

 

 それは、京都造形芸術大学准教授 斎藤亜矢先生の講題「ヒトはなぜ絵を描くのか」の講演で、ヒトの子どもは円と円を組み合わせて顔を描く。でもDNAの違い一・二%のチンパンジーにはそれができない。ヒトは満三歳ぐらいから見たてあそびをして、表象することができるようになるが、チンパンジーには塗たくりに似た行為を楽しんではするけれども、見たてることも表象することも五歳になってもできない。「想像」と「創造」の観点から旧石器時代の洞窟壁画を出発点に、脳の機能や言語の獲得など、進化と発達の視点から考察されて導かれた結果、ヒトが描くことの認知的な基盤の一つは、今ここに「ない」モノをイメージして補うという認知的な特性であり、言語の獲得と関連しているのではないか。それがヒトはなぜ絵を描くことができるのかという問いに対して、導きだされた答えでありました。

 

 講演を聴いて実に感動しましたし、幼年期の表現遊びには、幼児が発達段階で獲得したその子なりの言葉が聞こえてくる活動でありたいと今更ながら感慨深く思いました。

 

 実際に乳幼児Aと広告の白い裏紙を利用して画材を使い遊んでみた。一歳十カ月の頃からは徐々に筆圧が強くなり、ぐるぐると円を描き続けても紙からはみ出したりはしなくなった。二歳になると「爺じは此処」「婆ばは此処」「ここがお父さんの所」「お母さんの所」等々いろいろ設定し、「A君は此処よ」とスタート地点を決めて、線描きで繋がる遊びをさせてみると、目を輝かせて取り組んできた。「今度はカエルさんになってピヨーン、ピヨーンと行くよ。」「次は新幹線でピユーンと行くよ。」「蛇さんになってにょろにょろ行くよ。」模倣ができ楽しむと次第に自発性を発揮し、「走って行くんよ。」「お母さんの車で行こうか。」「A君はゴロゴロ行くんよ」私は「ゴロンゴロンと転がって行くんかーい。」と笑い声まで飛び出す始末、遊びながら発達段階を把握し、言葉の獲得との関係を試すことができた。乳幼児Aは、今時珍しい大家族で育ち、一歳から保育園に入所したので言葉の獲得が少し早く、語彙の数が周りの乳幼児より多いように見受けられるが、成長の過程は至極普通に育っている子どもである。二歳十ヶ月になり、再び乳幼児Aと広告の白い裏紙を用意して「お絵描き遊びをするよ。」と声をかけると、何の躊躇も無くすぐに茶色のカラーペンで描きだした。驚いたことに描きだし地点にどの線も戻って繋がっている。歪な丸の完成です。一つずつ描いた順に聞いてみると「丸」、「バナナ」、「四角」、「バナナ」、「小さなバナナ」、「みかん」、「お耳」、似たように見える歪な丸もそれぞれ違うものを描いていたことが解った。耳を描いたので、最初の大きな丸に顔を描いてみようかと促すと、目を二つ、丸の中に黒目も描けて、口を真一文字に描いてから鼻を目と口の間の丁度いい具合のところに縦に線を入れて、出来上がりかと思ったら間髪入れず二本短い線を描き加えた。何かと尋ねると、にっこり微笑み小さい声で、「足」と答えてくれました。いわゆる頭足人間です。

最初はどきっとして首かと思ったのですが、よく見ると足の先を左右に曲げて描いてあり正しく足です。そうそう最初「お耳」が描けたので以外に思えて顔に進んだはずなのに耳を描くことはありませんでした。気分が変わってその後、横に長いものを描き太い方を塗り潰しているので、「今度は何かな」と聞くと、「大根」と答えが返ってきました。生活体験の中で、休みの時母親と畑に大根を掘りに行ったのが印象に残っていたのでしょう。確かに、お店で売っている立派な大根ではなく、今年の秋の気候が災いして余り実らなかった細い大根が描かれていました。母親からの後日談で、三月生まれなのに自分は母親と同じ五月生まれだと言って主張を変えない。たまに食卓に並ぶビールを自分は大人だと言い困らせるのも、母親のすることなすこと同化したがるという幼い一面を持ち得ている。母体にいた時からいつも一緒で、生まれた後もずうっと一緒だったのだから、大人は母と子の二人称を認識しているが、子どもにとっては、母の子の一人称のままでいる感覚が持続しているのかも知れません。とにかく、子どもの感性に世間の常識や、既成概念が通用しないのは当然のことであります。

 

 子どもの表現の面白さは、人間形成の初期であり言葉の海に出たばかりであるが、この子なりの発達段階で研ぎ澄まされた感性が、まるで詩的言語が天から降りて来たみたいにときめきを発揮する絵が本当にたくさんあることを、毎年子どもの絵を審査しながら見続けている。その子にとって後にも、先にも今しかできない作品である。

 

 物質が溢れ、科学技術がIT化を進ませた時代が待ち受けている子らにとって、大人になることを急がせるのではなく、幼児期に発達の段階を踏まえて、その年齢を充実させて行くという方が、時代に必要なものを生み出す根源力や対応力は育ち磨かれていく。こういう研究は既に発表されている。

 斎藤亜矢先生の論点である、子どもが描くことの認知的な基盤は、今ここに「ない」モノをイメージして補うという認知的な特性である。言語の獲得と関連していることがよく確認でき、私なりに実証して見たかったので大変面白かったです。

 

 子どもが育つ理想的な生活環境は、豊かな原体験を積んでいくことにより経験値が高まり、感覚的能力を育むことと同時に言葉を獲得していくことができる環境がよい。日本には四季があるから、子どもたちは季節の風を受け、自然という小説の中で遊び、伝統的な行事があるから、時空を超えて心を動かす刺激を受け育ってきたことは間違いない。日本の幼児教育が世界から注目を集める所以である。

 

 日本の色彩の豊富さと色名の美しさに感銘を受ける人は少なくないと思う。昔の人は生活の場で自在に色彩を楽しんでいたか窺い知ることができる。日本画の顔料も凄いが、染め物の色がまた凄い。銀鼠、利休鼠、深川鼠、鳩羽鼠、桜鼠、藍鼠等々、鼠色だけで百色あり、西洋の比ではない。色の方から名乗りを上げているかのような色名である。きめ細やかな感性と繊細さを共有できるのが言葉の威力で匠の技を生み出す基となる。色彩を求めて、野山を探索して発見したのであろうか。持ち帰っては草木染めで確かめることの繰り返し。大変なようだが、このような行為を先人たちは毎日のように求め続けたから、日本の色名は生き物の名前、植物の名前、色そのものの名前と色数の多さだけに留まらず名付けの感性が非常に豊かである。民衆が布を織り、色を染め、物を造ることが生きることと一体であったからに他ならない。

 

 先人たちのあゆみの基盤になる姿を、無邪気に園庭の砂場で遊んでいる子どもたちの姿に重ねて見ている私がいる。幼児期の子どもたちは、飽きること無く小さい如雨露(ジョウロ)やバケツで延々と砂場に運び遊んでいる。造っては壊し造っては壊し、来る日も来る日も同じ遊びを繰り返しているように見えるが、いつしか大人の目でも気づけるように、遊びが発展し次の展開に進んでいることを保育者はおそらく見て経験している。このような遊びの中から五領域の全てに係わる育ちあいをしていることを保育者は知っている。幼児期に描く絵は、この世に出て関わりを持ち、言葉として認知したもの、出会いや、出来事、記憶に残り感じたこと、その年齢の時に自分の全身で受け止めた生きた証であって、言葉と描写を、模索して精一杯伝えようと楽しんで取り組んでいる。そのままの姿で十分素晴らしい。自分の心を、斎藤先生の言葉を借りると、頭の中にあるイメージを「外化」しているのだから、否定できる要因はどこにも見当たらない、あなたが生きた証そのものを見せてくれて有り難うと肯定するしかない。

 

 これが、幼年期の子どもの絵をみる側の私の見解です。

 

幼年美術 591号 2018 新年特別号に掲載